[多摩番外編] 天然理心流創始者の墓所に行ってきた。


好評を頂いていた連載「歴史発想源/武心の源流・幕末日野篇」がついに最終回を迎えました。

その舞台となった日野本陣石田村などに足を運んでみましたが、もう一箇所「幕末日野篇」の内容に関係のある場所に行ってみました。それは「幕末日野篇」の登場人物たちの縁を結びつけた剣術「天然理心流」にまつわる場所です。

新選組局長・近藤勇は近藤氏の名跡と天然理心流四代目宗家を継ぎましたが、宗家初代つまり天然理心流の創始者は、近藤内蔵之助(こんどう くらのすけ)という剣士。その墓が東京23区内にあるというので行ってみました。

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天然理心流創始者・近藤内蔵之助の墓は、江東区北砂町の妙久寺にあります。

二代目の近藤三助は八王子市戸吹町の坂本家出身、三代目の近藤周助は町田市小山町の嶋崎家出身、四代目の近藤勇は調布市上石原村の宮川家出身と、宗家近藤家は代々多摩地方の他家の門人を養子に迎えていましたが、初代近藤内蔵之助は多摩出身ではなく遠江国出身なんだそうです。

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さて、妙久寺の墓所には多くの墓があり、近藤内蔵之助の墓には説明板も何もないので見つけるのにちょっと時間がかかったため、お探しの方のためにここからはたどり着き方をご説明します。妙久寺の西側の墓地に入ったら、本堂の横を通って奥(北)へと歩きます。

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妙久寺の裏側に達すると、墓地がさらに広がっています。実はその裏の墓地に入る時に目の前に見えている列の一番手前側の、一番低いお墓がそれです。

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説明板も目印も何もない小さなお墓のため、つい見逃してしまいましたが、この「近藤長裕先生墓」と刻まれた墓こそ天然理心流を作った近藤内蔵之助の墓です。「長裕」は近藤内蔵之助の諱(いみな)で、「ながひろ」と読む説もあれば「ながみち」と読む説もあります。

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妙久寺の隣の邸宅は、石田波郷宅跡。『現代俳句』を創刊するなど現代俳句を発展させた俳人で、この北砂町に住みながら句集『惜命』などを作ったのだとか。

ちなみに妙久寺の境内にある「蘩蔞や焦土のいろの雀ども」という句碑の歌は、石田波郷が詠んだものです。

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その石田波郷邸跡の横には志演尊空神社があるのですが、この境内にはあるものの「発祥の地」の説明板があります。

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それは「野菜の促成栽培発祥の地」。砂村の農民であった松本久四郎が、江戸の市中から運ばれた生ゴミを堆積し発酵させた熱で温室の温度を上げ、初物好きの江戸市民にブランド野菜として重宝されたそうです。

松本久四郎の墓は東砂の因速寺にあり、促成栽培発祥の地の説明板がなぜこの志演尊空神社にあるのかは分かりませんが、すでに寛永年間(1667〜1673)にそのようなリサイクル発熱の温室システムができあがっているというのを聞くと、江戸の人々の知識レベルの高さに驚いてしまいます。


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