[多摩篇] 日野宿本陣に行ってきた。


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東京都日野市の石田寺や高幡不動尊など、土方歳三にまつわる場所に行った後は、日野宿本陣に行ってきました。

日野宿は甲州街道の4番目の宿場町で、日野宿本陣は日野本郷の名主を努めていた佐藤彦五郎が本陣と自宅を兼ねて使用していた建物です。本陣というのは勅使や参勤交代中の大名などが宿泊に利用する施設のことですから、その宿場町で最も重要な施設と言えました。

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日野宿本陣入口。この左側に、数台停められる駐車場があります。

江戸時代には各地に宿場町があり本陣がありましたが、本陣の建物が残っている例は少なくて、東京都内ではこの日野宿本陣だけなんだそうです。

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門の横に建つ、天然理心流佐藤道場跡の碑。日野の名主の佐藤彦五郎は、若き日に強盗に母親を殺された無念さから天然理心流の三代目宗家・近藤周助に入門し、4年で免許皆伝を取るほどの腕前になります。

そして自宅であるこの日野宿本陣の敷地内に道場を作り、天然理心流の江戸試衛館からの出稽古の場を設けました。そこに指導にやってきたのが、四代目宗家を継いだ若き日の近藤勇や試衛館塾頭の沖田総司らで、佐藤彦五郎の妻の弟であった土方歳三と彼らの出会いが生まれたのです。

佐藤道場は現在の駐車場があるあたりに設けられたそうです。

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日野宿本陣の式台(玄関)。京都から江戸に戻って甲州勝沼の戦いへと向かう新選組がこの日野に寄った際に、結核で療養中だった沖田総司が元気を証明するために四股を踏んで見せた、というシーンがよく新選組作品にありますが、その場所がこの玄関だったとか。

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納戸。玄関から庭へと風通しが良い場所なので、早くに親を亡くして姉の嫁ぎ先であるこの佐藤家に入り浸っていた若き日の土方歳三が、このあたりでよく寝そべっていたと言います。

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本陣には日野宿や新選組関連の資料がいろいろと展示されています。奥の小部屋は、函館戦争から土方歳三の遺品を届けるためにやって来た若き隊士・市村鉄之助を、佐藤彦五郎夫妻が新政府軍からかくまったという部屋だそうです。

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庭にも出ることができます。

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明治天皇日野御小休所趾及建物附御膳水の碑。明治天皇は明治13年の行幸、明治14年の狩猟で日野に来た際、この佐藤家の旧日野宿本陣で小休止を取っています。甲州勝沼の戦いでも新選組と共闘して最後まで幕府に味方して新政府軍に対抗した佐藤彦五郎ですが、維新後は南多摩郡長となり、初代日野町長にも就任し、明治新政府からも厚い信頼を得ていたのです。

ちなみに、日野市観光協会の事務局はこの建物の裏にあるので、GoogleMapでは日野宿本陣は「日野市観光協会」という表記になっています。


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