[姫路篇] 播磨御着城に行ってきた。


来年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公・黒田官兵衛孝高ゆかりの地を巡る姫路篇。
妻鹿の国府山城址の山麓でお会いした生涯クラブの片山さんにいろんな史料を頂き、
御着城をご紹介頂いたので、行ってみることに。


JR姫路駅から山陽本線で1つめの御着駅に到着。

ホームには地元の子どもたちが描いた黒田官兵衛の絵と説明文のパネルが設置されています。
御着駅は姫路駅から隣りの駅とはいえ、昼間は1時間に1~2本しか運行していないため、
予定をきちんと立てて行くことをお勧めします。バスやタクシーなどでもいいかも。


御着駅から姫路市東出張所の方向に向かって、天川を越えて10分ほど歩くと、

出張所の向かいには小さな公園があり、そこに小寺大名神社(天川神社)があります。
ここは御着城本丸跡で、御着城城主三代や当時の戦死者を祀っています。
毎年4月、全国各地から小寺家、黒田家、天川家の子孫が集まって大祭が行われるそうです。


そして小寺大明神から歩道橋を渡ると、姫路市役所の東出張所に到着します。

ここが御着城址であり、出張所の建物も御着城をイメージしたデザインになっています。
御着城は小寺氏の居城であり、かつてはこの御着城が本城、姫路城はその支城でした。
黒田官兵衛の最初の主君・小寺政職が城主で、黒田家は姫路城の城代を任されていたのです。


で、姫路市東出張所の前の城址公園内には、黒田官兵衛顕彰碑が建てられています。

織田信長の征西軍を率いていた羽柴秀吉による播磨進行で、御着城は天正七年(1579年)に落城。
羽柴秀吉の家臣となった黒田官兵衛は、秀吉に姫路城を居城として勧め、
自らは父の居城であった国府山城へと移り住みました。


御着城を囲む天川にはかつて、姫路藩の威信を示した山陽道随一の石橋が架かっていましたが、

昭和47年の増水で折損し、現在はコンクリート製の橋が架けられています。
しかし、その歴史を刻む旧天川石橋は姫路市東出張所の北側に移築復元されています。
もちろん、実際に渡ることもできます。
当時の西国諸国の参勤交代を体験できる貴重な橋です。


姫路市東出張所の隣には、黒田家廟所があります。

黒田官兵衛の父祖たちが眠っており、姫路市の指定史跡になっています。
向かって左側が官兵衛の祖父・黒田重隆、右側が官兵衛の母・黒田職隆夫人明石氏の五輪塔。


姫路に戻り、お蕎麦屋さんで、

姫路名物だというあなごめしを食べました。美味しかった!

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