[姫路篇] 国府山城に行ってきた。(2)



黒田官兵衛が居を構えた国府山城の本丸のあった、標高98mの甲山山頂からの北西側の景色。

姫路市内が手に取るように一望できます。なんという美しい景色。
やがて豊臣政権の中心的参謀となる黒田官兵衛は、ここから天下の大計を練ったのでしょう。
眼下の市川も美しい。市川を横切っている道路は国道2号線。
その先には、現在改修中のため姫路城天守をすっぽり覆っている箱も見えます。


山頂から見た、逆側の南西の景色。瀬戸内海に突き出した工場群が見えます。

戦国時代は手前側の木などもなくて、広い角度が見渡せるパノラマ風景だったかもしれません。

かついで登ってきた甚平姿の2歳の子が、城跡に着くなりなぜか杖で剣術の素振りを始める。
こういう場所に来ると、そういう血が騒ぐのかな。
でも、暑かったのでものすごく蚊が多くて大変でした。
登るなら、雑草なども枯れてくる秋や冬などのほうがいいかもしれません。
それにしても、本当にここは気持ちがいいなあ。

さて、過酷な登山道を再び降りた時、登山口の荒神社を清掃されている方に出会いました。
妻鹿生涯クラブ連合会の会長をされている片山さんという方で、
黒田官兵衛にまつわる歴史資料をたくさん下さったばかりか、妻鹿地域を案内して下さいました。
ちなみに、片山さんから頂いた国府山城のパンフレットには、
「国府山山上への登り道は未整備の雑木林で険しいので、小さなお子様はご遠慮願います」
と書かれてありました。マジか…。すみません。


甲山の麓の飾磨高校の近く、妻鹿幼稚園の隣にある元宮八幡神社。


その元宮八幡神社の境内の一画にひっそりと、母里太兵衛誕生之地の碑が建っています。

黒田官兵衛に仕える黒田二十四騎の筆頭としてその名が挙がる槍使い、母里太兵衛友信の生誕地。
福島正則から名槍「日本号」を賜った「黒田節」の逸話は福岡県でも有名で、
ちょうど今年、子どもと一緒に福岡市博物館に母里友信の日本号を見に行ったところでした。
ちなみに案内して下さった片山さんの話によると、母里太兵衛の生誕地は諸説あり、
この石碑の場所が正確な生誕場所の位置を表わしているわけではないとのこと。


そして、神社からさらに5分ほど南に歩いて行くと、

住宅地の中にひっそりと、黒田職隆(もとたか)の廟所があります。
黒田ち職隆は黒田官兵衛の父で、地元ではなぜか「筑前さん」と呼ばれています。
分かりにくいこの廟所の入口には「筑前さん参道」という石碑が儲けられているのですが、
その石碑はゴミ捨て場になっていてゴミに埋もれて、その石碑も見つけにくかったりします。
妻鹿駅に地図が出ていますので、確認してから行かれることをお勧めします。
いやあ、妻鹿地区はとっても楽しかったです。
歴史ファンの方、ぜひ行ってみて下さい。

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