[淡路徳島篇] 徳島城に行ってきた。


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淡路島から大鳴門橋を渡って、四国は徳島県へと突入。

これまで、なぜか全都道府県の中で石川県、富山県、そして徳島県だけは一度も行く機会がなかったので、初めて徳島県に行くことができてかなり感慨深いです。

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徳島城に到着。徳島城東駐車場に車を停め、徳島中央公園へ。この池の一帯、徳島県内有数のポケストップ集合地なのか、「ポケモンGO」に集中している人がすごく多かったです。

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徳島中央公園の中央は城山になっており、各方面から登山道があります。しばらく登ってみると、石垣が現れ……

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徳島城本丸跡に到着!特に何もないけど。

阿波国を手中に収めた土佐の長宗我部元親が四国を平定した後、豊臣秀吉がすぐに四国征伐を敢行しますが、蜂須賀小六の息子・蜂須賀家政が阿波国18万6000石を賜り、この徳島城を築城しました。江戸時代も阿波徳島藩主の蜂須賀氏の居城となりました。

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普通のお城では天守跡は本丸にあるものですが、徳島城の天守跡は本丸から少し下がった東二の丸です。ちなみに、徳島城は日本100名城の1つに選ばれています。

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阿波徳島藩初代藩主となった蜂須賀家政の銅像。豊臣秀吉の子飼いの武将ながら、関ヶ原の戦いでは東軍側について阿波国25万石を勝ち取り、「阿波の古狸」と呼ばれました。

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旧徳島城表御殿庭園。別名を千秋閣庭園と言います。徳島城博物館に隣接しており、入場チケットはセットで買えますが、庭園だけの入場だと50円です。穴吹工務店のマンションがどーんと建っているのが、四国らしいところ。

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千秋閣庭園は上田宗箇流の創始者である茶人でもあり、各地の庭園の作庭を行った造園家でもある武将・上田宗箇によって造られたもの。丹羽長秀、豊臣秀吉に仕えた武将で、関ヶ原の戦いで西軍に味方して追放された後、蜂須賀家政の客将となり、この庭を造りました。

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徳島城跡の銘碑は南側の鷲の門の横にありました。


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