群馬県太田市にある新田金山城。日本百名城の一つに数えられるだけあって、山城全体に遺構がしっかりと残されています。
金山城の要となる部分の入口である大手虎口。この左右には曲輪(くるわ)が築かれています。
大手虎口横の曲輪には井戸の跡や竈の跡などが見られることから、ここで生活をしていたと思われます。井戸や竈は復元されており、当時の様子が思い浮かびます。
そして大手虎口の内側には大きな丸い池が。こちらは下の月ノ池に対して「日ノ池」と呼ばれています。これもまた人口的な石敷きによって作られた貯水池です。
この美しい円形を描く池こそが、新田金山城の大きな特徴というかシンボルとも言えます。
太田市出身で後の富士重工業となる中島飛行機を創業し、商工大臣や鉄道大臣、立憲政友会総裁などを務めた中島知久平の胸像。
ついに金山城の山頂まで登ってきました。石段のてっぺんには鳥居が。鎌倉時代末期の名将・新田義貞を祀る新田神社です。
新田神社本殿のある山頂こそが、この新田金山城の本丸跡。この裏手には当時の石垣も現存しています。
金山城物見台からの風景。赤城山や榛名山なども見えるんだとか。ここまで視界が開けた物見台は、北や西からやってくる上杉軍・武田軍の動向を見張っていたと思われます。
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