葛西城跡に行ってきた。


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東京都内の歴史ファンでも知っている人が少ないのですが、東京都葛飾区には葛西城址があります。長らく行く機会がなかったのですが、ようやく行くことができました。。

場所は葛飾区青戸。環七通り(都道318号線)沿いに、まさに葛西城址公園という名の公園があります。もともと中川の流れを守りに利用した平城で、現在では埋め立てや環七通りの開通によって遺構は全く残っておらず、公園の名にその名を残すのみです。

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葛西城址公園には、こんな木馬やブランコのような遊具が少しあるだけでただの広場であり、城址らしいものは何も残っていません。でも、ここでがっかりしてはいけません。葛西城に思いを馳せられるのは、実は環七通りの向かい側だったりします。

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環七通りを挟んだ葛西城址公園の反対側には、御殿山公園という公園があるのですが、実は葛西城の説明板や石碑などはこの御殿山公園のほうにほとんどが設置されているのです。

つまり葛西城の城郭は葛西城址公園と御殿山公園を含む一帯で、その中央を環七通りが貫通したという感じなのでしょう。

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御殿山公園側にはこのとおり、葛西城復元図まで。他にも葛西城の概要説明板や発掘調査の説明台などいろいろなものが設置されています。

葛西城はもともと葛西城が鎌倉時代に築城した要塞で、戦国時代には小田原城を拠点とした北条氏の東方防衛の前線基地として利用されていた要衝です。その後は徳川家光など江戸時代前期の将軍の鷹狩の陣屋として利用されていたとか

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青砥藤綱城跡の碑。青砥藤綱というのは執権北条時頼や北条時宗などに仕えた鎌倉時代の武士の名前で、この地を有していたという伝承があります。住所は「青戸」なのに最寄駅の駅名が「青砥」なのは、この人物の名字にちなんでいるからなんだとか。

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「葛西城を偲ぶ」の碑。これも御殿山公園側にあります。他にも「青砥史蹟復興之碑」などもあります。

 

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向かいの葛西城址公園に比べて、御殿山公園は大型のすべり台もあって子どももこちらのほうがお気に入り。

実はこの日葛西城跡に行ったのは、交通公園が併設されている上千葉砂原公園に4歳長男と1歳次男を連れて行ったから。上千葉砂原公園から徒歩で20分ほどでした。

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御殿山公園のほうが葛西城址公園に比べて緑も多く、運動器具もいろいろとあります。


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