?州市の張飛廟に行ってきた。(2)



?州市の張飛廟。中にはこのように「漢張桓侯故里」の文字が。つまり漢(の意思を継いだ蜀国)の張飛の故郷、という意味で、ここが張飛の故郷だったということを記した碑です。ちなみに三兄弟のうち、劉備と張飛が同じ?州市の出身で、関羽は別の出身地でした。


張飛廟の隣りには「三聖殿」という御堂があります。中には、中央に主君劉備、その左手側には次兄の関羽、右手側には軍師諸葛孔明の像があります。三体の像の背後には、『三国志演義』における張飛の活躍の絵が、奥から時系列で書かれています。ちなみに時系列で言うと後になる孔明側の壁には…


右から、知略を用いて魏の張?に勝つシーン、そして張魯軍として現れた馬超との一騎打ちのシーンが描かれています。


張飛廟の向かいには「桃園三決義故里」という公園が。中にはこのように、「桃園の誓い」を結ぶ三兄弟の像があります。中央が劉備、右が関羽、左が張飛ですね。『三国志演義』では桃園の誓いが行われた桃の林は、張飛の家の裏ということになっているので、三義宮ではなくこちらのほうが話に合った場所のようです。『三国志』の話はここから始まるんですねえ。


ここは「桃園の誓い」で立ち上がる前に、張飛が肉を吊るしていたという井戸「張飛古井」。決起する前は、張飛はこの?県で肉屋を営んでいたんですね。当時は冷蔵庫がありませんから、この井戸の中に肉を吊るして保存していたわけです。ちなみに劉備は筵(むしろ)を織って売る仕事、関羽は塾の先生をしていたことになっています。


周囲の壁には、桃園の誓いより前の三兄弟の姿が描かれています。ちなみにこの絵は張飛と関羽の出会いのシーン。張飛が先ほどの井戸の中に肉を吊るして、とても重い石を置き「これが外せる奴は肉を全部持って行っていいぞ」と言ったら、さすがに誰も石を動かせない。しかし偶然通りかかった関羽が「ほらよ」と簡単に動かしてしまった。これで関羽と張飛は取っ組み合いの喧嘩になってしまいます。それを仲裁したのが、これもまたたまたま通りかかった劉備だったのです。その仲裁の時の絵もありますよ。


これは「桃園の誓い」で義兄弟の契りを結んだ劉備・関羽・張飛の3人が、「じゃあ誰が長男で誰を末弟にする?」という話になり、木に登って決めようぜ!ということになった時の逸話でしょうね。関羽も張飛も力自慢で木に登り、最終的には張飛が一番上まで上がってしまった。ふと下を見ると劉備は登っていなかったので「末弟でいいのか?」と聞いたところ、劉備は「木というものは根から生えるものだ。根の部分ほど早く生まれ、枝のほうは後から生まれたものだ」と言いました。それで、根に近い劉備が長兄となり、枝のほうまで登った張飛が末弟になってしまった、という言い伝えです。

さて、張飛廟から次の目的地へと行く前に、タクシーの運転手のおばちゃんに、「さっき三義宮に行く時に3つの像が見えたけど、あれも写真に撮りたいので、戻って寄ってくれ」とお願いしたら、快く戻ってくれました。それが、劉備・関羽・張飛の騎馬像が立つ三義広場です。これは国道沿いにあります。三義宮に行く時に気になっていたので、後で寄りたかったのですが、タクシーがそこを通らず三義宮から張飛廟へ最短ルートの裏道で行ってくれたのです。というわけで、三義広場の写真を撮って、次の目的地へ。

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