年に一度の日本水準原点の施設公開を見に行ったぞ。


『ビジネス発想源 Special』で「各界発想源『測量士・浦恒博の基礎論』」を連載して下さった、
測量士である興和設計工務事務所の浦恒博社長にお誘いを頂いて、
永田町にある日本水準原点の標庫施設の、年に一度の一般公開を見に行きました。


日本水準原点とは、日本の測量の全ての基準となる、工事や製図には欠かせない重要なもの。

国会議事堂の前にある憲政記念館構内の国会前提の中にあります。
6月3日は「測量の日」ということで、国土地理院が毎年6月に一年に一度の一般公開をしているとのこと。
地形や水準点マニアは意外に多いのか、この日も結構たくさんの人が訪れていました。

普段は施錠されている正面の鉄蓋が、今日だけこのように開けられています。
その中に見える細長い白い部分に細かいメモリが打ってあり、その中の0の部分が日本水準原点。
つまりこの建物自体が水準原点ではなく、この立派な建物も、何十メートルも掘られた基礎部分も、
全てはその小さなメモリの水準原点を頑強に守る存在でしかない、ということです。
日本水準原点とは、それほど我が国にとってめっちゃ重要な存在なのです。
ちなみにこの建物は明治期に活躍した建築家・佐立七次郎の現存する数少ない作品の一つでもあり、
上部の菊の御紋と「大日本帝国」の文字など歴史的意義も深く、東京都有形文化財に指定されてます。


標庫の裏側のドアも公開されており、陸地測量部による建設日時の刻字が。

当初、この原点を設置した際の標高は24.5000mに定められていたのですが、
それは明治24年5月に建設されたことに由来する数字なんだそうですよ。

国土地理院の方による15分ほどのミニ講座が、原点施設脇の木陰で行なわれていました。
「海抜」と「標高」は意味が異なり、「海抜」とは測量地点の近くの海の平均海面からの高さ。
「標高」とはこの水準が表わす、東京湾平均海面からの高さのことを表わすそうです。
測量に主に用いるのは「標高」のほう。
1923年の関東大震災、そして2011年の東日本大震災によって地殻変動が起こっているため、
現在では原点数値は24.3900mに改定されているのだとか。
その改定のために、測量法の法改正が必要になるのだそうです。奥が深い。


浦社長に「この日本水準原点がテロとかで破壊されたらどうなるんですか」と尋ねたところ、

「基本水準点の周囲には必ず、点検のために甲・乙・丙…といういくつかの一等水準点があって
 点検できるようになっている」とのこと。
というわけで宝探しのごとく、日本水準原点の周囲の一等水準点を探してみましたよ。
まずは日本水準原点の正面の通路の中に、「甲(こう)」の一等水準点を発見~。


「乙(おつ)」の一等水準点はちょっと分かりづらくて、

日本水準原点に向かって左側(皇居側)の草むらの中にひっそりと隠れていました。

「丙(へい)」の一等水準点は、日本水準原点正面に向かって右側(国会議事堂側)の通路上にあり、
一番分かりやすい場所にあります。
この日も、この一等水準点だけは蓋が開けられ、中の標石を公開していました。


「丁(てい)」の一等水準点は少し離れていて、

日本水準原点の後方から桜田門方面に土手を下ったところに設置されています。
これだけは鉄蓋の中ではなく、地上に標石が設置されています。
石には「No.丁」と書かれているのですが、
これはアルファベットの「T」ではなく漢字の「丁」のことです。
あっ、もう一つ「戊(ぼ)」の一等水準点があるはずなのですが、見るの忘れた!
多分どこか近くにあります。
これらの基準水準点については、浦社長のブログの記事がとても詳しいです。
ちなみに、この日本水準原点がある場所はかつて彦根藩井伊家の家老屋敷だったそうで、
ここから桜田門までの数百メートルを歩いてみることで、
井伊直弼の桜田門外の変を体験してみることができたりします。
それにしても日本水準原点、ものすごく楽しかったです。

コメント