[山口篇] 陶氏居館跡に行ってきた。


大内氏筆頭家臣の陶氏の本拠地であった山口県周南市の周防若山城に続いて、陶氏の居住地域とされる陶氏居館跡にも行くことにしましたよ。つい先々月まで連載していた「歴史発想源/周防の猛虎・陶氏二代篇」の主役であった陶興房、陶隆房(後の陶晴賢)父子の所領での邸宅があった場所ですね。

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周防若山城の登城口から国道2号線を広島方面へ2分ほど走ると、富田川の手前の土井交差点で「日原・鹿野」方面へ左折します。1分ほど走ると「曹洞宗 海印禅師」の看板が出てくるのでそこを左折。海印寺を過ぎて左に「富岡公園」という名前の広場があります。それが陶氏の居館跡。

隣りには菊川公民館富岡分館という公民館があり、駐車スペースが結構あるので、車で来た場合はそこに停めさせてもらうのがいいと思います。

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けっこう広い富岡公園。昔は富岡小学校の敷地だったそうです。陶氏の居館があった名残で、この地を平城(ひらじょう)と呼ぶそうです。向こうの方に、石碑と看板らしきものが見えますね。

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富岡公園の公民館側の隅にある、陶氏居館址の石碑と、陶氏居館跡の説明板。

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富岡公園から南側を眺めた風景。富田川の下流のほう、新南陽駅方面を見通すことができます。

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先ほど看板に出てきた曹洞宗海印禅寺(海印寺)は、陶氏居館跡から徒歩3分ぐらいの近い場所にあります。車で行っても横に参拝者用の駐車場があり、車を停めることができます。この海印寺、陶氏にゆかりのあるお寺です。

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海印寺の境内には、陶興明(すえおきあき)と陶興昌(すえおきまさ)の墓があります。

大内義興を支えて尼子経久や大友義鑑など周辺の強豪を撃退した猛将・陶興房は、実際には三男で、長男の陶武護と次男の陶興明が家督争いで相次いで死去した末に家督を継ぎました。また、その息子である陶隆房(陶晴賢)も実は次男で、長男の陶興昌は早逝していました。つまりここには、当主であった陶興房と陶隆房二代のそれぞれの兄が眠っているのです。

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というわけで、帰省がてらに平戸まで九州北部を巡りながら周南市まで東進してきたわけですが、徳山駅から新幹線に乗って東京に戻ることにしました。5時間近くかかりますが、周南市や広島市ならば宇部山口空港や広島空港まで行って飛行機に乗るよりも実は新幹線のほうがトータルでは早かったりします。行きは飛行機で来た4歳長男も新幹線に乗れて喜んでいました。

九州北部や山口県は、行けば行くほどまだ行き足りない場所がどんどん出てきます。今回もまだ行きたくて行けなかった場所が山ほどあるので、またいつか時間を作りたいと思います。


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