[山口篇] 周防若山城に行ってきた。


山口県周南市にある周防若山城跡に行ってきました。周防若山城は大内氏の筆頭家臣であった陶晴賢など陶氏の本拠地となった城です。先々月まで『ビジネス発想源 Special』で「歴史発想源/周防の猛虎・陶氏二代篇」を連載していて、まさにその舞台だったので近日中に行ってみたいと思っていました。こんなに早く機会が来るとは。

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山陽自動車道を徳山西インターで降り、国道2号線を広島方面に向かって車で走って5分もしないうちに、若山交差点の手前で左手に突然「陶の道 若山城登城のみち」という手書きの看板が出てきます。

北九州に住んでいた頃は2号線は何度も通っていたのに、こんな場所に登城口があるとは全く気づきませんでしたが、この看板は2010年にできたみたいですね。

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登城口には「若山城五四〇年記念碑」など様々な石碑が 建っており、やがては殺されてしまう相手となる毛利元就を吉田郡山城の戦いの際に尼子氏の来週から守った様子も記されています。

ここから山上に向かって車で登ることができるのですが、その道は日本ウォーキング協会によって「美しい日本の歩きたくなる道500選」に選ばれているそうです。陶の道を広めたい地元の有志の集まりがあるらしく、道の途中には短歌などの看板がこれでもかというほど吊るされていて、これらがなかったらもっと美しい道なのになあ……と感じたり感じなかったり。まあ地元の意気込みだけは感じるけど。

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自動車で登ることのできる最終地点が、周防若山城の二の丸・三の丸です。この撮影地点が二の丸で、奥に見えるのが三の丸。自動車は10台ほど停められるスペースがあり、花見の時期でなければ恐らく間違いなく駐車できるかと。

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三の丸から見た瀬戸内海の眺め。主君である大内氏の本拠地が内陸の山口のため、筆頭家臣である陶興房や陶隆房(後の陶晴賢)ら陶氏は水軍を有し瀬戸内海の支配を代行していました。こうやって見ると、この城を拠点にしたのも合理的だなあという気がしてきます。

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二の丸から本丸跡への山道が続いており、ここからは車を降りて徒歩になります。一応ここにトイレもあります。

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本丸までの階段で突然現れる鳥居。二の丸までの車道でやたら吊るされていた宗教っぽい歌の板は二の丸からは全くなく、とてもいい感じの城跡になってきます。

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若山山頂、若山城の本丸に到着。ここからも木々の間から瀬戸内海を眺めることができます。旧海軍省の石碑もあって、ここが軍事的にも重要拠点だったことが分かります。

天文19年(1550年)に、陶隆房は主君の大内義隆を自害に追い込む「大寧寺の変」を起こしますが、その際にはこの周防若山城で挙兵して山口へと進軍しました。

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本丸にある若山城跡の石碑。

ちなみに、うちの弘中家の先祖は厳島の戦いまで何代にもわたって共に大内氏の同僚であり、非常に陶氏とゆかりが深いのですが、この日は父も母も興味津々で周防若山城登城についてきました。初めて来たらしく、とても喜んでいました。4歳長男も張り切って登ってきて楽しんだ様子。

二の丸まで車で登れることもあって、とても行きやすい城跡でした。景色もいいし、この日は曇りだったから晴れている日にまた来てみたいです。


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