[お城編] 静岡県・掛川城と浜松城


今月、幼い頃からの夢だった、全国の天守閣を訪れることを達成することができました。
で、この「発想源ブログ」を書き始めたのが2007年で、それ以前に行った城の中で、
デジカメで撮って残っているお城の写真を、備忘録的に載せていこうと思います。
デジカメを持ち始めたのが2005年頃なので、2005年~2007年ぐらいに撮った写真です。


静岡県掛川市にある掛川城。
徳川家康が豊臣秀吉によって、都から遠い江戸の地に飛ばされてしまった時に、

『功名が辻』の主人公でとしてのおなじみ、秀吉の直臣・山内一豊が東の抑えとして入封し、
現在のような掛川城の城塞を作り上げたとされています。
関ヶ原の戦いの際、西進する徳川家康に味方して東海道を開けた山内一豊は、
その功によって土佐一国を与えられるという大出世を果たしました。


掛川城の天守閣は1994年に再建されましたが、当時はコンクリート製の再建の天守が多い中、

掛川城は日本初の木造復元天守で、ここから木造による復元ブームが始まります。
ちなみに、二の丸に建造された御殿もかなりいい場所なんだよなあ。


静岡県浜松市にある浜松城。
徳川家康の根拠地であったことで知られ、家康ゆかりの場所ということで、

浜松城主は江戸幕府の重役への出世コースであり、浜松城は「出世城」と呼ばれました。
佐賀県の唐津藩の水野忠邦が、幕閣への出世を願って接待漬けで浜松城主になった上で、
老中にまで出世して「天保の改革」を行なったのは有名な話。


浜松城はそれほど高い場所に立っている城ではないので、

天守の最上階から見る眺めも、それほど下界を見下ろす感じではありません。
が、静岡県内で最も高いと言われているアクトタワーというハーモニカのようなビルがあり、
このビルは『古畑任三郎』の真田広之が犯人の回で、その外観が非常に重要な鍵になります。
『古畑任三郎』ファンはあのタワーを見ると、「あの字」を書きたくなります。

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