[伊豆篇] 韮山反射炉に行ってきた。


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伊豆の国市にある韮山反射炉に行ってきました。明治日本の産業革命遺産の構成遺産の一つとして、集中している九州・山口から遠く離れたこの韮山反射炉も世界遺産に認定されたことで、

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今回は静岡県在住の家内の父母も合流。この近辺にも昔から何度も来ているそうですが、やはり世界遺産に決定したことで以前よりも観光客が激増し、周辺の整備も昔とは比べ物にならないほど整ったそうです。現在は100円で見られる韮山反射炉の見学料金も、近いうちに1,000円ぐらいになるのではという噂もあるとか……。

この日も、朝一番で行ったのに国内外からたくさんの観光客が来ていました。観光バスの駐車場も広いので、昼頃にはきっとすごい数の観光客が殺到するのでしょう。

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ビジネス発想源 Special』の人気コンテンツ「歴史発想源」で先月からスタートした「武心の源流・幕末日野篇」の第1回で登場した人物・韮山代官所の江川太郎左衛門こと江川英龍(えがわ ひでたつ)こそが、韮山反射炉を建造した人物。その銅像が韮山反射炉の前の記念撮影エリアに建っています。

実を言うと、幕末史に全く疎い私は昨年末頃まで江川英龍のことを全く知らず、韮山反射炉も何をする施設なのか全く理解していませんでした……。

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反射炉とは要するに鉄を生産するための溶鉱炉のようなもの。近くにこのような大砲のレプリカが置かれてあるのが示しているように、幕末期に外国船が日本沿岸をうろつくようになって、大砲がたくさん必要になるという江川英龍の国防論から、大砲を鋳造するための反射炉の建造も必要になり、江川英龍が代官として居住している韮山に反射炉が建てられたというわけです。

日本の国防の歴史、開国の歴史を語る上で欠かせない史跡なんですね。

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幕末期には他にも長州藩の萩(山口県)や肥前国佐賀(佐賀県)などにも建造されたそうですが、現存しているのはこの韮山反射炉だけなんだそうです。

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韮山反射炉は今は観光客が多くてどのように撮っても観光客が写り込んでしまいますが、周囲の植え込みの下から見上げて撮るとこのように観光客を全て隠して撮ることができますよ。

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韮山反射炉と物産館の間を韮山古川が流れており、ここが起点なんだそうです。

物産館には、世界遺産登録で土産業者が群がるように作った反射炉まんじゅうやら反射炉せんべいやら、明らかに韮山反射炉の歴史への愛が全くなさそうな新しく量産されたお土産商品が並んでいました。何でもありだな……。

ちなみに、江川英龍は今でも使われる「気をつけ」「右向け右」といった号令を作るなど近代の軍隊のノウハウを作った人で、非常携帯食として乾パンを作ったことから「日本で初めてパンを焼いた人」としても知られており、その堅パンも商品化されています。

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それにしても、韮川に行って最も気になったことは、絵画も超一流だった江川英龍が残した自身の自画像と、江川家の現当主の方との顔がびっくりするほどそっくりなこと。そのまますぎ!

 


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