毎週土曜日配信中の有料メールマガジン『ビジネス発想源 Special』にて連載している人気コンテンツ「歴史発想源」。
歴史上のエピソードから現代の経営やマーケティングに活かせるヒントを見つけるこの「歴史発想源」ですが、今月から新章となる第21章がスタートします。
第21章のタイトルは、「仁政の現業・岡山開拓篇」です!
毎回ビジネスの現場にも関係するテーマを掲げていますが、今回のテーマは「名ディレクターの実務力」です。
企画の全体像を創るプロデューサーと企画の実現に取り組むディレクターを歴史上の人物に当てはめると、改革や革新などの偉業を成した人物は基本的にプロデューサー役です。将軍であったり藩主であったり、トップから指示した人が歴史に名を残します。
しかし、そんな偉人たちの偉業には当然、現場で実現させた人がいるはずです。将軍や藩主などの意向を読み取り、実行に写した現場の責任者が必ずいます。
今回はその名ディレクターとして、歴史上の様々な人物の中から、津田永忠(つだ ながただ)という人物にスポットライトを当てることにしました。
水戸藩の徳川光圀・会津藩の保科正之に並んで「江戸の三名君」と称される岡山藩主・池田光政に仕え、また父の光政の理念に反発した次代藩主の池田綱政にもその才覚を乞われ、岡山の将来の発展に尽くした名臣です。
後楽園や閑谷学校などの施設はもとより、岡山平野の大半を干拓によって生み出して財政や産業構造を劇的に変え、その後の岡山県の経済発展に大きく貢献した津田永忠は、手がけた施設を世界遺産に推薦しようという動きが起こるなど、今また最注目をされています。
トップが誰になろうとも、トップやプロデューサー役から常に必要とされる名ディレクターになるためにはどのような意識や考え方が必要なのか。名ディレクターを育てるために経営者はどのように考えなければならないのか。いろいろなヒントが見つかるでしょう。
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