[北部九州篇] 福岡県行橋市に行ってきた。


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北九州市が生まれ故郷で、お城が好きで大分県の中津城や杵築城に何度もドライブしていた僕にとって、福岡県行橋市はいつも通過地に過ぎなかったのですが、ちょっと行橋もいろいろ巡ってみたくなり、とりあえず行橋駅に行ってみました。こんなに立派な駅舎があったのかっ。

ちなみに行橋駅西口には御所ヶ谷神籠石をモチーフにしたモニュメントがあったり、神籠石の名がついたお菓子が売っていたりします。神籠石は一押しの観光名物だったんですね。

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平成筑豊鉄道田川線で行橋駅の2つ隣りの駅、今川河童駅。つい名前に惹かれただけで来てしまいました。駅名はその名の通り、近くを流れる今川に現れる河童伝説からついたもの。

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今川河童駅は無人駅で、周囲にも特に何もないのですが、このように駅名にちなむカッパの銅像がこのように建っています。立ち入り禁止の線路側の方向を向いているので、真正面から撮影するには電車に乗らなければならないという、ネプチューンマンポーズのカッパ像。

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今川河童駅の今川を越えてさらに西へ進むと、並行して長峡川が周防灘へと流れています。「ながおがわ」と読みます。この長峡川沿岸にもいろいろと史跡がありまして……。

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その最たるものが、漢学者・村山仏山(むらやまぶつざん)が開いた仏山塾、いわゆる水哉園(すいさいえん)です。西日本の英才たちが3000人以上も門人として集まった私塾。長峡川沿いにあります。民間宅ではありますがこのように説明板が立ち、庭園が解放されています。

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水哉園の庭園の中。この水哉園からは、伊藤博文内閣で内務大臣や逓信大臣などを歴任し、伊藤博文の娘と結婚した政治家・末松謙澄(すえまつけんちょう)、元号の「昭和」や今上天皇の「昭仁親王」の名など皇族にまつわる様々な命名を行った漢学者・吉田学軒(よしだがっけん/吉田増蔵)など、数多くの傑物が巣立っていきました。

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水哉園から河口に下って行くとある清地神社。「すがち神社」と読むそうです。

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清地神社から少し川下に行った熊本橋の近くに、末松謙澄生誕地の碑が建っています。行橋駅の観光案内所で配っていた絵地図では清地神社の裏手になってたのでかなり探したのですが、清地神社とはけっこう離れています。

ちなみに、「源義経は生き延びて大陸に渡り、ジンギスカンになった」という説が昔からありますが、それを日本全土に流行らせたのは『義経再興記』を発表した末松謙澄だと言われています。防長史の編纂やローマ法史の研究など、数多くの分野で能力を発揮した人物です。


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