生まれ故郷である福岡県北九州市の門司港の実家に、1泊だけ帰省しておりました。
北九州空港から東京に戻る前に、門司港に住んでいた若き頃によく行った場所を、
2歳の我が子を連れて今一度巡ってみることにしました。
和布刈(めかり)のノーフォーク広場から見た、関門海峡に架かる関門橋。
向こう側に見えているのは山口県下関市。馬関戦争はまさにあのあたりで行なわれました。
ノーフォーク広場へ行くには、土日なら潮風号に乗ってノーフォーク広場駅、
西鉄バスなら和布刈公園前で降りてすぐです。
なぜノーフォーク広場という名前がついているのかというと、
北九州市がアメリカ合衆国のノーフォーク市と姉妹都市の提携をしているから。
周辺都市と合併して北九州市になる前の門司市の頃からの姉妹都市関係です。
![](http://www.winbit.biz/blog/2013/20130911_002.jpg)
和布刈に行った時に必ずと言っていいほど寄ってしまう、明石与次兵衛塔。
ノーフォーク広場から和布刈公園入口を1分ほど登った高台にあります。
明石与次兵衛とは、戦国時代に門司に住んでいた名うての船の漕ぎ手でしたが、
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に肥前名護屋城(佐賀県)まで遠征し、その後の大阪に戻る際に
与次兵衛が漕いでいた秀吉の船が浅瀬に激突して、秀吉は関門海峡の荒波に放り出されました。
毛利水軍が駆けつけて秀吉を救い上げたため秀吉は九死に一生を得ましたが、
明石与次兵衛はその責任を負わされて切腹となりました。
それ以来、関門海峡の安全の守り神としてこの地にこの塔が建てられています。
そしてこの塔こそが、僕が門司の歴史に興味を持った一番初めのきっかけでもありました。
![](http://www.winbit.biz/blog/2013/20130911_003.jpg)
ノーフォーク広場のすぐ近くにある、門司関址。
門司は関門海峡に突き出た九州最北端であり、九州への往来の重要拠点だったため、
飛鳥時代の大化年間の頃からこの場所に関所が設けられ、往来が監視されていました。
もともとは「文字が関」という名前だったのが「門司関」になったそうですが、
諸説ある「門司」という地名の由来も、関所だから「門を司る」の字を当てたんじゃないか、
と個人的に推測しています。
![](http://www.winbit.biz/blog/2013/20130911_004.jpg)
地元にありながら、実は今回初めて足を踏み入れた「門司電気通信レトロ館」。
明治時代から現在までの電話機や交換機など電話・通信にまつわる博物館です。
めちゃくちゃ楽しいじゃないか、ここ…。
黒電話や旧型交換機、さらには発明されたばかりのドデカい携帯電話など、
過去の様々なものを見たり触ったりできます。ドデカい携帯電話、めちゃくちゃ重いです。
NTT西日本の旧門司営業所だったこの建物は、建築物そのものも
大正13年に建てられた文化的建造物で、レトロな街並みの景観の一画を担っています。
![](http://www.winbit.biz/blog/2013/20130911_005.jpg)
出光美術館(門司)に隣接された、出光創業史料館。
この門司港の地から一代で世界的石油会社・出光興産を築き上げ、
門司商工会議所会頭、貴族院議員などを歴任した出光佐三氏の偉業が展示されています。
出光佐三氏は、門司港出身の私が個人的に若い頃から尊敬し非常に影響を受けた経営者で、
この史料館ができてからも何度も訪れ、ここで販売されている著作は全部買い揃えたほど。
『海賊とよばれた男』が大ベストセラーになって、いきなり出光佐三に注目が集まったので、
この史料館もかなり注目されているのではないだろうか…と思って久々に行ってみたら、
残念ながら、以前よりもかなり縮小されていました。前のほうが良かったなあ…。
レトロ地区の中心にある、北九州市旧門司税関。
明治45年(1912)に建てられた赤レンガ造りのレトロ感あふれる建物ですが、
中はギャラリーなどがあり、なかなかシャレた空間になっています。
かつて関門海峡を見張ったという展望室へも無料で上がることができます。
旧門司税関の中の喫茶店で、マンゴーパフェを食べる。
かつては、「門司港と言えばバナナの叩き売りの発祥の地だ!」ということで、
飲食店などで新しいメニューを作る時に何かとバナナばかり使っていましたが、
定着しなかったらしく、最近ではバナナを前面に出す店はほとんどなくなりました。
脱バナナが門司港をオシャレにする契機になると以前から何となく思っていたので、
バナナに固執しなくなったのはいいことだなーと、個人的に思っています。
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