京都に行った時には一度訪れてみたいと個人的に思っていた場所、船岡山に行ってきました。
船岡山は京都市北区にある標高100m程度の小山で、かつて船岡山城が築かれました。
現在は山全体が船岡山公園になっており、市民の憩いの場として親しまれています。
船岡山公園の入口は金閣寺から徒歩圏内にあり、バスを使ってもバス停1つ分です。
金閣寺の拝観時間が朝9時から始まるので、それまでに行ってみることにしました。
バス停を降りて少し路地を入ると、「史跡船岡山公園」の看板が掲げられた入口が。
バス停を降りて少し路地を入ると、「史跡船岡山公園」の看板が掲げられた入口が。
ここから緩やかな上り坂が続きますが、ずっと舗装されています。
船岡山は京都の街が一望できるので、戦乱の時代には重要な戦略拠点となりました。
永正八年(1511年)、周防国(山口県)の守護であった大内義興が、
失脚した室町幕府10代将軍・足利義稙を擁して、大軍勢を率いて西国から京都に乗り込み、
11代将軍足利義澄を擁立した細川澄元が陣取るこの船岡山城を攻め落とします。
その激戦の地となったことが、この立て看板にも説明されています。
この船岡山の戦いに参加した大内軍には、尼子経久をはじめ、陶興房、内藤興盛、毛利興元など
西国オールスターズとも言える顔ぶれが揃っており、その中に、大内家の評定衆の一人だった
弘中三河守興勝(おきかつ)という人物も大内義興に付き従って軍功を立てました。
それが『厳島戦記』で描いた、厳島の戦いで戦死する弘中三河守隆包の父であり、
私のご先祖様の一人だったりします。それが船岡山に行ってみたかった理由です。
船岡山山頂までは5分ぐらいで登ることができ、いい運動になります。
山頂には三角点が設置されているのですが、この時は地元のご年配の皆さんが朝の運動をされていて、
観光で来たような人は自分だけだったみたいです。
船岡山山頂から見た、京都市の景色。
京都一帯を見張らせるため、応仁の乱の時には山名宗全ら西軍がこの地に船岡山城を築き、
西軍の本陣としたため、京都のこのあたりの地域は今でも「西陣」と呼ばれます。
京都の戦乱史を語る上で、欠かせない重要な場所なのです。
山頂手前の公園で、朝食にパンを食べてる我が子。
ちなみに、船岡山の山頂からはこのように大文字山の「大」の字がこんなに間近に見られ、
五山送り火の時の大人気スポットなんだそうです。
この日はとても天気がよくて気持ちが良かったです。行ってよかったなー。
この日はとても天気がよくて気持ちが良かったです。行ってよかったなー。
船岡山合戦はけっこう興味のある出来事なので、
また時間をとっていろいろと調べてみたいなあと思う今日この頃です。
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