?州市の三義宮に行ってきた。(2)



?州市の三義宮、本殿である三義殿には『三国志』の蜀の中心人物が飾られていましたが、その右側には、「関羽殿」という関羽を祀った社殿があります。中央には蜀の名臣・関羽の像が。


右側(関羽の左手側)を向くと、4人の武将と後方に兵士たち。四将は、上座である左から、周倉、趙累、王甫、劉封だったかと。関羽が荊州を治めた時の荊州近辺の重臣たちばかりですね。ちなみにこの時はカメラの調子が悪くて足元にある字の薄い名札が撮影できず、武将名は結構うろ覚えで実際は違うかもしれないので、現地でご確認を。


関羽殿で左側(関羽の右手側)を向くと、誰かを打ちつけているシーン。何の場面なんだろう。ちなみに上座である右側に立っているのは、関羽の養子である関平、一番左側に立っているのは関興だったかな?忘れた。後はみんな兵士みたいです。ちなみに『三国志演義』には関索という関羽の三男が登場しますが、関索は架空の人物で史実には登場しないそうです。


社殿には一つひとつ説明書きがついているのですが、何というヤル気のない日本語訳…。これは関羽殿の説明書き。関羽は「富の認識グローバル中国の神」だそうです。「周はあまりにも有名倉」て。関平も「フラット」になってる。


続いて、三義殿の左側には、逆側の関羽殿に向かい合って「桓侯殿」つまり張飛殿があります。中央にはもちろん、張飛の像。関羽の横には「財」の字がありましたが、張飛の横の字は「禄」と「福」ですね。


右(張飛の左手側)を向くと、これもまた4将の姿。張飛の家臣たちです。どれが誰だったか全然思い出せないのですが、私の全く知らない人物もいた気がします。古巣の荊州を守備した関羽に対して、張飛は劉備の新天地となる蜀の国への侵攻に尽力したので、確かこの4人は劉璋時代の旧蜀からの将だったような気がします。確か一番右が孟達でした。呉班とかそのあたりですかねえ。これから三義宮に行かれる方、もしよかったら追記しますので詳細を教えて下さい!


左(張飛の右手側)を見ると、恐らく『三国志演義』の序盤の、張飛が不正役人の督郵をボコボコにしているシーンが。上座であるその右側に立つのが確か子の張紹、左側に立つのが孫の張遵だったと思います。右側の奥に将らしき人が一人いますが、これは烏騅という名前がついてました。知らないな、誰なんだろ。

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