鎮江の甘露寺に行ってきた。(2)


上海から新幹線に乗って約1時間半、鎮江市の北固山公園に行きました。北固山公園の入口には劉備・孫権が剣を交える像と試剣石が。その東側の門をくぐって少し行くと…。


太史慈の墓が。太史慈は『三国志』に登場する呉国の将で、呉の若き国主・孫策と激しい一騎打ちを行なって、主君の敗走後に孫策に認められて呉に加わりました。その才は敵国の曹操も欲しがったほどで、呉国の発展に大いに尽くした武人です。正史『三国志』では赤壁の戦いの前に死去していますが、『三国志演義』では赤壁後の合肥の戦いでも活躍します。墓の前にはこのようにその勇士の石碑が。


太史慈墓から少し歩くと、今度は魯粛の墓。魯粛も呉の名臣で、主君の孫権と敵対する劉備との仲を取り持って曹操に対抗する基盤を作った文官です。横山光輝『三国志』では、赤壁の戦いの時に周瑜と諸葛亮との間で板挟みとなる滑稽な役回りですが、実際には呉の発展に大きく寄与した逸材だったようです。像を刻んだ石碑の後方には、「呉横江将軍魯粛之墓」の碑と墓があります。

そこからさらに少しずつ北固山を登っていくと、三国時代以外の史跡もいろいろと残されています。民国時代の王宗培烈士墓や、孫文と関係あると思われる中山紀念林塔など。鎮江市の重要文化財もいくつか。


そしてこれは、日本から阿倍仲麻呂が遣唐使としてやってきたことを記念する石碑です。日本人として、中国史にきちんと日本や日本人のことが刻まれているのはとても嬉しいことですね。


さて、ここから上が甘露寺なのですが……、なんと長期工事中で立ち入り禁止!遠くからクレーンが見えていたのはこのためだったのかっ…。本来ならば『三国志』の甘露寺のシーンを人形で再現した広間などがあるそうですが、今は中は荒れ放題。ただ、工事中と言っても誰もいなかったので、ほんとはよくないのですがちょっと中に入らせてもらうことにしましたよと。

甘露寺はまるで迷路のような複雑な複合的建物でした。高い位置にある廊下などにも入っていけました(本来は工事中なのでダメですけど)。そして、甘露寺からは……


雄大な長江が一望できます。劉備も孫権の妹との婚礼で甘露寺を訪れた時に、この甘露寺からの長江の眺めに大いに感動して「天下第一江山だ」と言ったという逸話があります。『三国志演義』では、ここで劉備が贅沢の味を覚えてしまって帰らなくなってしまう、というダメダメなシーンがありますけど。それにしても、とても美しい景色です。

ということで、工事中だったのが残念だったため、またもう一度来てみたいなあという印象です。恐らく今年中には工事は終わるのではないかと思うので、上海に行かれる『三国志』好きの方は一度行ってみるといいのではないでしょうか。

コメント